行ってみた、日本のレジャー寄りスパ&サウナ
それでも見えた「スパの原則」との距離
本媒体ではこれまで、高級路線の海外スパを、評論家としてしばしば厳しく論じてきた。「行かないスパ」とは、その積み重ねの中で生まれた視点である。
だが今回は趣を変える。評論の対象としてではなく、一人の客として休日を丸ごと過ごしてみた。訪れたのは、2026年6月にグランドオープンしたばかりの「SPA&SAUNA水春 服部緑地」。結論から言えば、辛口の私が「楽しんでしまった」。そしてその体験の中に、賞賛すべき点と、原則から逸脱した点とが、同時に、はっきりと見えた。本稿はその記録である。
実質価格という物差しで見たとき
まず、価格について書いておきたい。入浴と岩盤浴の料金を払い、館内で食事をとり、カフェで軽く間食をしても、一人およそ6,000円もあれば長時間の滞在が成立する。海外のセレブリティが利用するラグジュアリースパとは、そもそも類が違う。比べる土俵が異なる。
そして「実質価格」という物差しを当てたとき、私はむしろ、バグっているのは海外の豪華スパのほうだと考える。あの種の施設の多くは、富裕層からいかに多くの金を引き出すか、という一点に向けて設計されているように見える。価格に見合うだけの体験が伴っているかと問えば、必ずしもそうではない。希少性とブランドの演出に、価格の大半が乗っているのだ。もはや資本主義の成れの果てと呼ぶべき歪みではないか。
一方で、日本のレジャースパはどうか? ラフな装い、エコノミー価格でありながら、体感できるサービスとコンテンツは濃密で、空間の完成度は高い。食事も相応のクオリティを保っている。先進国でありながら、これだけの体験を、特権ではなく「平均的な感覚」で享受できる。これは異様なまでに健全な達成だと思う。贅沢とは、本来こういうことではなかったか? そう問いたくなる豊かさが、ここにはある。
日本人だけが使いこなせる、複雑な自由
レジャースパの本質は、「自己編集型の滞在」にある。こちらの施設では寝る場所があり、学ぶ場所があり、温まり、涼み、竹林の空気に触れ、腹を満たす。そのすべてが一箇所に揃い、しかも各自のペースで、好きな順に選べる。ペアでもソロでも自由に空間を移動しながら過ごせる。療養を主眼とする欧州のスパとも、トリートメントを核とするアジアのリゾートスパとも異なる、日本独自の進化である。
ただし、ここには見落とされがちな前提がある。この複雑な全館の利用方法を、日本人の多くは「勘どころ」で、他人に迷惑をかけることなくこなしてしまう。これは設備の優秀さ以前に、日本人のマナーと習慣の賜物である。率直に言って、インバウンドの来訪者には、このシステムは難解にすぎるだろう。文化的な暗黙知に支えられて初めて成立する自由。この観察は、世界のスパ文化を見渡すうえでも示唆に富む。
「てんこ盛り」のプレミアムラウンジ
今回、最も驚かされたのは、岩盤浴と接続したプレミアムラウンジだった。
一般に、この種の休憩スペースは、漫画が大量に並び、利用者がゴロゴロと寛ぐのが定番である。それはそれで一つの文化だ。だが、ここは違った。美しく設えられた空間に、文化的な書籍が数多く並ぶ。漫画も雑誌もある。寛げる。文化の匂いもする。空間そのものの心地よさもある。加えてコワーキングスペースがあり、仮眠用のボックスまで備わっている。一体どれだけ詰め込むのか、と呆れるほどの充実ぶりである。
あざとさの解剖 ── 香りと甘味の設計
そして、もっとも興味深い「あざとさ」を発見した。
岩盤浴ゾーンは、年齢の制約もあって子供がおらず、本当に静かで落ち着いた空間になっている。その空間に、おそらく計算的に、スターバックスを思わせるバニラとシナモン系の香りを漂わせている。さらに自動販売機では、甘いアイス系の商品が売られている。見事な購買動線の設計である。反則だ。笑
引き算の演出と、足し算の演出
演出をめぐっては、この施設の中に正反対の二つの思想が同居していた。
浴場ゾーンのロウリュタイムは、熱波師が大きなうちわで、勢いよく熱を送る、いわば「わっしょい、わっしょい」の世界である。人の手と声掛けで、私たちは熱波を肌で受ける。余計なものを足さず、効く核だけを残した「引き算の演出」であり、手放しで賞賛したい。
一方、岩盤浴の「コンサートロウリュ」は、列をなすほどの人気を集める目玉だが、ここには疑問が残った。ライティングとスクリーン、装置はすべて揃っている。だが、流れていたのはチープなJ-POP、パラパラ系のダンスナンバーだった。歌詞のある楽曲を流した瞬間、聴き手の脳は言語処理へと引き戻される。急激なノイズに、私はドン引きした。嫌う人は、扉を開けて、入らずに引き返していた。
盛り上げたいのなら、歌詞のない、身体に響くサウンドだけでよい。ライティングと熱波に同期するグルーヴ感こそが、演出を「体験」へと昇華させる。立派な箱に、チープな中身。この残念さは、記録に値する。
進化と逸脱は、同時に本当である
着替えて食事フロアに降りたとき、日が暮れてシックな照明になり、自動演奏のピアノが流れていた。スーパー銭湯なのに、まるでホテルのロビーのようだった。あの特殊な景観 ── 服部緑地の緑を借景とした立地が、この空間の格を底上げしている。正直に告白すれば、私が構想している自宅のスパ空間のイメージを先取りされたようで、少し焦りすら覚えた。
そのとき、レストランで幼児のギャン泣きが始まった……やはりここはスーパー銭湯だ。
日本のレジャースパが、複合的なウェルネス体験として、世界に通用する水準にまで進化したのは間違いない。だが同時に、「スパの原則」という物差しを当てれば、確かに満たしていない面も数多くある。静寂、芳香の質、深い回復、子供の声からの解放、商業的な雑音からの解放。
日本人が育てたスパ的空間とコンテンツ。町の銭湯とも、富裕層から金を巻き上げる海外の豪華スパとも違う、この日本的な達成に、私はエールを送りたい。
それはそれ、これはこれ。
良い面は、良いと伝える。
今日はそういう一日だった。

